阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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江夏豊と野茂英雄は意外と共通点が多い。 野球歴、メジャーリーグへの挑戦、投球
術、野球観などから、江夏は野茂を弟分と考えているに違いない。事実、江夏は米国
でも、日本でも数多く野茂と会って、アドバイスしたり、野球観を語り、野茂も江夏を
尊敬している。
■ メジャーリーグへの挑戦
江夏がメジャーリーグに挑戦したのは
1985年36才であった。野茂が近鉄との
確執の上挑戦したのは1995年26才であった。
ちょうど10年の差である。
非難と苦難の末、メジャーリーグ挑戦した野茂英雄が
結果的には、実質日本人メジャーへのパイオニアで
あることはもちろんであるが、江夏も10年前にチャレ
ンジしていた。メジャー入りの結果は残すことはでき
なかったが、共に苦難の中でメジャーへの挑戦した
ことは二人の共通点で江夏も野茂の心情と心意気に
共感している。
実際、江夏はこう語っている。「オレはメジャーで夢を果たす
ことはできなかった。でも野茂がオレに替わって夢を果たして
くれた。野茂は心の神様。他の誰よりもオレはアイツに敬意を表している」
■ 奪三振が投手の生命線
二人ともいわずと知れた奪三振王。江夏の奪三振記録も
驚異的であるが、野茂の奪三振も日米合わせて6回(近鉄
時代4回、メジャーで2回)も記念すべき記録であある。
そして生涯奪三振も江夏が2987に対し、野茂も3122で
ある。三振を取ることに、球質の違い(速球・カーブ、速球・
フォーク)があっても、秀でた才能は共通である。江夏が
「奪三振王」、野茂が「トルネード投法」の称号が与えられ
たように投手にとって原点である三振の山を築いた二人の
男であった。
■ 芸術品の投球術
江夏の真骨頂は外角低めの速球とカーブであって、その勝負はベースの
左右と対角線であった。一方、野茂は速球と鋭く落ちるフォークで勝負は
ベースの高低を駆使していた。 一見、大きな違いがあるようだが、芸術
品に近い投球スタイルでは非常に似ている。防御率、勝敗数、奪三振数
といった記録だけでなく、それを超えた美しさがある。
投球フォームを見よ。豪快・ふてぶてしさ・フォームの美しさの江夏に対し、
豪快で独特のトルネード投法。実に絵になる投球フォームである。
■ 野球知能指数(IQ)の高さ
若い時には、直球の力勝負で打者を抑えることができたのは江夏も野茂も同じ。
事実、胸のすくような三振の山を築くことができたのは球そのものに「力」があっ
てこそ。その「力」を利用して大胆に勝負する一方、二人とも実に繊細な神経の
持ち主だった。
江夏は意外にも入団2年目から、全登板日の克明なメモを残していたことを告白
している。そのメモを詳しく分析しながら、常に反省すべきことを体の中に浸み込
ませて役立せていた。
投手は、ベースまでの距離18.44mとベース幅43.2cmを自在に使って討ち取ろう
とする。左右幅、高低、さらには、どんな球種を投げるかの配球に神経をとがらす。
「力対力」、「ワザ対ワザ」「頭脳対頭脳」の総力戦なのである。
野茂は自分の投げたボールのほとんどすべてを記憶していたという。恐るべき記
憶である。このような地道な積み重ねで打者に対する配球術を極めていった。「討
ち取ったから、良かった。 打たれたのはしょうがない。」という単純な凡投手とは
大きな差がある。 こと野球に関しては、二人ともずば抜けたIQの高さである。
■ 野球観
野球の勝敗と選手の成績だけを考えている某球団と違って、わたし達野球ファン
は本当は普通の人にはできない素晴らしいプレーの醍醐味、美しさを見たいので
ある。勝ち負けや選手の成績や数字は目的ではなく単なる手段にすぎない。
たとえば、田淵幸一の放物線を描いたホームランも美しかったが、豪快な三振も
絵になっていた。フルスイングの三振も感動を与えるのである。
江夏も野茂も自分が打たれたホームランを美しいと心から思うことのできる投手で
ある。勝敗を超越する野球の素晴らしさと美しさを身をもって表現してくれる数少な
い大投手であって、野球ファン原点の期待に応えてくれた。
■ 性格
二人とも大胆かつ繊細。美辞麗句は決して言わず、監督、球団幹部、チームメイト、
ファンに媚びない。そのため、マスコミや球団に誤解されやすいのは二人とも共通。
一匹狼、孤高の選手と言われ続けてもさして気にしなかった。
二人とも200勝以上の投手で名球会入りの資格がありながら、そんな権威にあま
りこだわっていない。
■ 引退
江夏は球団にも歓迎されずに、無謀とも言われたメジャーリーグに挑戦した。日本
での最後の球団、西武で不本意な退団、まだやれると思っていた。阪神、南海、
広島、日本ハムでの華々しい活躍で、もうこれで良いと思うのが普通であるが、た
とえボロボロになっても完全燃焼するまで、やり続けるのが江夏スタイルであった。
最後に夢はかなわなかったが、江夏としては満足していた。
野茂も非常に似通った球歴をたどった。近鉄時代に、最多勝、奪三振、防御率、
沢村賞など、総なめにする活躍であった。メジャーリーグでは「トルネード投法」「ド
クターK」の愛称で日本人初めての一流、本格的メジャーリーガーとして多くの功績
を残した。故障後はマイナーリーグなど転々としながらも、ボロボロとなっても完全
燃焼するまで、投げ続けた。
今年2008年7月17日、自分が考えていたファンへの満足なパフォーマンスができな
くなったと語って、ついに引退した。
術、野球観などから、江夏は野茂を弟分と考えているに違いない。事実、江夏は米国
でも、日本でも数多く野茂と会って、アドバイスしたり、野球観を語り、野茂も江夏を
尊敬している。
■ メジャーリーグへの挑戦
江夏がメジャーリーグに挑戦したのは
1985年36才であった。野茂が近鉄との
確執の上挑戦したのは1995年26才であった。
ちょうど10年の差である。
非難と苦難の末、メジャーリーグ挑戦した野茂英雄が
結果的には、実質日本人メジャーへのパイオニアで
あることはもちろんであるが、江夏も10年前にチャレ
ンジしていた。メジャー入りの結果は残すことはでき
なかったが、共に苦難の中でメジャーへの挑戦した
ことは二人の共通点で江夏も野茂の心情と心意気に
共感している。
実際、江夏はこう語っている。「オレはメジャーで夢を果たす
ことはできなかった。でも野茂がオレに替わって夢を果たして
くれた。野茂は心の神様。他の誰よりもオレはアイツに敬意を表している」
■ 奪三振が投手の生命線
二人ともいわずと知れた奪三振王。江夏の奪三振記録も
驚異的であるが、野茂の奪三振も日米合わせて6回(近鉄
時代4回、メジャーで2回)も記念すべき記録であある。
そして生涯奪三振も江夏が2987に対し、野茂も3122で
ある。三振を取ることに、球質の違い(速球・カーブ、速球・
フォーク)があっても、秀でた才能は共通である。江夏が
「奪三振王」、野茂が「トルネード投法」の称号が与えられ
たように投手にとって原点である三振の山を築いた二人の
男であった。
■ 芸術品の投球術
江夏の真骨頂は外角低めの速球とカーブであって、その勝負はベースの
左右と対角線であった。一方、野茂は速球と鋭く落ちるフォークで勝負は
ベースの高低を駆使していた。 一見、大きな違いがあるようだが、芸術
品に近い投球スタイルでは非常に似ている。防御率、勝敗数、奪三振数
といった記録だけでなく、それを超えた美しさがある。
投球フォームを見よ。豪快・ふてぶてしさ・フォームの美しさの江夏に対し、
豪快で独特のトルネード投法。実に絵になる投球フォームである。
■ 野球知能指数(IQ)の高さ
若い時には、直球の力勝負で打者を抑えることができたのは江夏も野茂も同じ。
事実、胸のすくような三振の山を築くことができたのは球そのものに「力」があっ
てこそ。その「力」を利用して大胆に勝負する一方、二人とも実に繊細な神経の
持ち主だった。
江夏は意外にも入団2年目から、全登板日の克明なメモを残していたことを告白
している。そのメモを詳しく分析しながら、常に反省すべきことを体の中に浸み込
ませて役立せていた。
投手は、ベースまでの距離18.44mとベース幅43.2cmを自在に使って討ち取ろう
とする。左右幅、高低、さらには、どんな球種を投げるかの配球に神経をとがらす。
「力対力」、「ワザ対ワザ」「頭脳対頭脳」の総力戦なのである。
野茂は自分の投げたボールのほとんどすべてを記憶していたという。恐るべき記
憶である。このような地道な積み重ねで打者に対する配球術を極めていった。「討
ち取ったから、良かった。 打たれたのはしょうがない。」という単純な凡投手とは
大きな差がある。 こと野球に関しては、二人ともずば抜けたIQの高さである。
■ 野球観
野球の勝敗と選手の成績だけを考えている某球団と違って、わたし達野球ファン
は本当は普通の人にはできない素晴らしいプレーの醍醐味、美しさを見たいので
ある。勝ち負けや選手の成績や数字は目的ではなく単なる手段にすぎない。
たとえば、田淵幸一の放物線を描いたホームランも美しかったが、豪快な三振も
絵になっていた。フルスイングの三振も感動を与えるのである。
江夏も野茂も自分が打たれたホームランを美しいと心から思うことのできる投手で
ある。勝敗を超越する野球の素晴らしさと美しさを身をもって表現してくれる数少な
い大投手であって、野球ファン原点の期待に応えてくれた。
■ 性格
二人とも大胆かつ繊細。美辞麗句は決して言わず、監督、球団幹部、チームメイト、
ファンに媚びない。そのため、マスコミや球団に誤解されやすいのは二人とも共通。
一匹狼、孤高の選手と言われ続けてもさして気にしなかった。
二人とも200勝以上の投手で名球会入りの資格がありながら、そんな権威にあま
りこだわっていない。
■ 引退
江夏は球団にも歓迎されずに、無謀とも言われたメジャーリーグに挑戦した。日本
での最後の球団、西武で不本意な退団、まだやれると思っていた。阪神、南海、
広島、日本ハムでの華々しい活躍で、もうこれで良いと思うのが普通であるが、た
とえボロボロになっても完全燃焼するまで、やり続けるのが江夏スタイルであった。
最後に夢はかなわなかったが、江夏としては満足していた。
野茂も非常に似通った球歴をたどった。近鉄時代に、最多勝、奪三振、防御率、
沢村賞など、総なめにする活躍であった。メジャーリーグでは「トルネード投法」「ド
クターK」の愛称で日本人初めての一流、本格的メジャーリーガーとして多くの功績
を残した。故障後はマイナーリーグなど転々としながらも、ボロボロとなっても完全
燃焼するまで、投げ続けた。
今年2008年7月17日、自分が考えていたファンへの満足なパフォーマンスができな
くなったと語って、ついに引退した。
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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