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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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 江夏豊を題材にした小説は2つあります。
 小川洋子の「博士の愛した数式」と山際淳司の「スローカーブをもう一球」に収められた
 「江夏の21球である。 どちらも今までにない斬新な視点で江夏豊像を見事に描きだ
 してくれました。
 プロ野球広しといえども、小説の舞台に登場したのは江夏豊だけ。他の分野から見ても
 魅惑の人物なのである。

スローカーブをもう一球
■ 「江夏の21球」という名文句をはじめて使ったのは確か山際淳司だったと思う。もともとは1980年、文藝春秋社のスポーツグラフィック・マガジン「ナンバー」創刊号に載った山際淳司の『江夏の21球』であり、これが後に他の短編と一緒に出版された「スローカーブをもう一球」である。

■ 「江夏の21球」はもちろん、1979年日本シリーズの近鉄バファローズ対広島カープ、両者3勝をあげた第7戦での、広島絶対絶命のピンチの場面で活躍した江夏豊を描いたものである。

■ 感動、人間ドラマ、根性論を中心としたスポーツドキュメンタリーとは全く違う視点で描きだしてい点である。山際淳司の優れた視点とは、関係者の取材をもとにして、著者の主観や考えをまったく交えずに、冷静沈着に鮮やかに描ききった点にある。その執筆スタイルは、プロ野球評論家にも影響を与え、特に若い読者に圧倒的な支持を得た。

■ この中で、印象に残る一場面は一塁を守っていた同僚、衣笠祥雄とのやりとりである。
絶対絶命の場面で、古葉監督は同点にされることを意識し、既に次の攻撃・打席の(江夏に打順が回る可能性があった)ことを考え、代えのピッチャーに準備・肩慣らしをさせていた。江夏はまだ信用を勝ち取ってなかったのかと心中で悔しさを爆発させていた。そこに一塁の衣笠は、「俺もお前と同じ気持ちだ。ベンチやブルペンのことなんて気にするな、やめるなら一緒に辞めよう」と声をかけたという。
衣笠だからこそ、江夏の心を完全に汲み取ったもので、江夏を後押し、結果的に球史に残る偉業を成し遂げた。 衣笠との交流は後年、江夏は「うちの嫁さんよりサチ(衣笠祥雄)と一緒の方が多かったなあ!」と言わしめた程である。

■ 山際淳司はこの作品集「
スローカーブを、もう一球」で、1981年に第8回角川書店日本ノンフィクション賞を受賞し、その後、理知的な風貌、紳士的な語り口で静かな評判を呼び、NHKの「サンデースポーツ」のメインキャスターを務めた。
しかしながら、1995年、胃癌による肝不全のため、46歳の若さで急逝、惜しまれながら、この世を去った。山際淳司はスポーツノンフィクション分野のパイオニアであり、現在活躍している二宮清純など若いスポーツライターやスポーツ小説家に大きな影響を与えているのは間違いない。

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横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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