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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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■ 野村克也監督 楽天監督を辞任
   とうとう野村監督が東北楽天監督を辞任しました。阪神タイガース監督時代には若手
   新庄、桧山など有力選手を育てましたが、弱いままの阪神に終わってしまいました。
   成績はともかく、阪神ファンとしては、やはり”色々と、ご苦労様でした”と声をかけ
   たいと思います。
■ 江夏豊との出会いー南海時代ー

94eb291b.jpg 世紀のトレードと言われた江夏のトレード、本人が知らぬ
間に南海へのトレード話が進み、1976年1月28日、阪神
、南海による2対4のトレード、阪神:江夏豊、望月充、 
南海:江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野育夫が成立した。
当時、江夏は通算159勝、江本孟紀は通算52勝と誰が
みても不釣合いのトレード相手と思われていて、江夏自身、
強い不満を抱いていた。
しかし、最終的には南海に移籍した。左の写真は南海への
入団発表会の模様である。右から、野村監督、江夏、望月。

■ 野村監督の江夏操縦術
   江夏が南海入団時の監督が野村克也。プレーイングマネージャーで正捕手でもあ
   った。南海移籍には心の底では、怒りを抑えたまま、しっくりしない日々が続いていた
   と思われる。それも、そのはず、阪神時代には誇り高いエースとして君臨し、飛ぶ鳥
   も落とす勢いであったし、チヤホヤされていたので、阪神の監督でも、御し難いスター
   選手だった。
   それまで栄光の実績はあったものの、エースとしてどんな苦しい間面でも登板して
   いて酷使され過ぎていたため、既に全盛期を過ぎていたのは間違いない。
   野村監督は、江夏のこの現実を冷静にみていたが、なにしろ、江夏が相手である。
   どんな方法で説得するか悩んでいた。2009年10月29日放映のTV朝日で野村監督が
   語ったことを要約します。
   ”ある日、江夏が新撰組が好きだということを知って、「革命」という言葉で説得する
   ことにした。明治維新の新撰組が好んでいた「革命」である。今までになかった先発
   でなくリリーフのエースとして江夏が甦る、「野球に革命を起こそう」と。 江夏はこれ
   に鋭く反応し、「そうか 革命か」と応じたという。 これが、事実上、日本で初めて
   リリーフエースへ登るきっかけとなった。
   私、野村は選手再生工場と言われているが、南海当時の選手は、とにかく、自由
   気儘で、言うことを聞かぬ選手も少なくなかった。南海での3悪人は江夏豊、江本
   孟紀、門田博光だった。 東北楽天では山崎武を再生させたが、山崎なんて可愛
   いもんだ”
   
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横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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