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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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■ プロ野球史上、最大の伝説となった「江夏の21球」。伝説となったのはあまりにも
   ドラマチックな試合展開とその幕切れにあった。
   昭和43年の広島対近鉄の日本シリーズという大舞台。それも試合は最終戦まで
   もつれ込んだ第7戦の最終回の9回裏。スコアは4対3、広島はこの回を0点に抑え
   れば、栄えある日本一の栄冠を勝ち取るこのができる。ところが、近鉄はねばり、
   何と無死満塁の絶好のチャンスを迎える。近鉄は負けるどころか、逆転サヨナラで
   日本一になるだろうと99%に人がそう思ったに違いない。
■ 江夏豊がこの絶対絶命のピンチを奇跡と思われる投球でしのぎ、広島を日本一に
   導いた。神業と言われたスクイズ、最後は、江夏らしく、三振に打ちとってゲーム
   セット。こんな神業は恐らく、日本の歴代投手の中でも江夏しかできなかっただろう
   し、これこそ江夏の真骨頂なのである。
■ しかし、この偉業に隠れた裏には、試合中に広島カープ古葉監督との微妙な確執が
   あった。山際淳司「江夏の21球」に詳しく述べられているが、要するにエース江夏の
   プライドを著しく傷つける出来事があったからである。無死満塁となった場面でブル
   ペンに控えとして北別府投手に投球練習を始めた事に、それほど信頼されていない
   のかと江夏が激怒したという。ようやく、衣笠祥雄に「お前に何かあったら、オレも
   ユニフォームを脱ぐから」という言葉に冷静さを取り戻し、あの21球のドラマとなった。
■ エースのプライドといえば、江夏は自信過剰ともいえる程、誇り高いプライドが強烈
   だった。今の時代には、これ程の誇り高い投手は、ダルビッシュ有以外には見当た
   らなくなった。江夏の個性といえばそうではあるが、時代も強烈な個性とプライドを持つ
   選手を心の奥底で尊敬していた。 古葉監督との例の事件は、わだかまりはずっと
   続き、衣笠に「執念深いなあ!」と言われる位だった。
■ このわだかまりを何とかしようと江夏は翌年のシーズン開幕日に古葉監督室を突然、
  訪ている。江夏豊/岡田彰布著「なぜ、阪神タイガースは勝てないのかータイガース
  再建への提言」によれば、”開幕戦当日「監督、今日は上がらせてもらいます」と切り
  だし、唖然とした古葉監督に向かって「日本シリーズでの出来事を私は納得していま
  せん。納得できないかぎり野球はしたくない、私はそういう男です。」 古葉監督は
  2人きりで懇々と話をしてくれて「お前のプライドを傷つけた。悪かった。頭を下げる。
  ただ、言い訳かもしれないが、準備して最悪の事態に備える監督としての仕事がある。
  わかってくれ」と語った。本当に腹を割ってすべてを話してくれ、古葉監督の目をみて
  いた。この人は何も偽っていない。そう思えた。筋さえ通れば私に恨みつらみは一切
  ない。「わかりました。納得しました。スッキリしました」
  古葉監督にすれば、大迷惑な談判だったかもしれないが、それ以降、古葉監督との
  絆は深まった。藤本定義さんと私はおじいさんと孫、古葉さんとは兄貴と弟のような
  関係だった。古葉さんは、今でも好きな一人だ。”と、その後の「江夏の21球を語って
  いる。
■ 普通の野球人はもっと、割り切っていて、こんな事は恐らく、しないでしょう。しかし、
   他人が何を言おうとも、エースの誇りを無骨な形でしか表現しない、ある意味では
   単純ではあるが、一本気な表現はなぜか江夏らしさとして納得してしまいます。
   
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プロフィール

横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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