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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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fc140cf1.jpg 阪神タイガースの川藤幸三は代打、または控えの選手だったが、レギュラー選手に劣らない人気を誇っていた。川藤は生涯たった一度だけ出場した1986年のオールスターで、代打で出場し、見事に左中間を抜くばかりの快打で2塁ベースに滑り込んで、数メートル前でタッチアウトになったシーンを今でもはっきり、思い出すことができます。
 川藤は江夏の1年後輩。 二人は現在のビジネス感覚の選手が多い選手と違って、しんから野球が好きで、数字よりも野球の面白さ、素晴らしさを思う存分堪能させたてくれた貴重な選手だった。 二人の言動は、いわば、昭和最後の「野武士野球人」と私は呼んでいる。

 ■ 川藤幸三の記録
在籍年数 試合数 打数 安打    本塁打 打率
19年 771 895 221 16 0.236
   川藤の誇るべき記録は、19年間阪神に在籍したことで、歴代阪神選手の中でも、兄貴分遠井吾郎の20年に次ぐ歴代2位の記録である。2軍暮らしが長く、解雇の危機が何度もあったが、「阪神一筋で野球ができるなら給料は要りません」と頼み込み、何とかしのいだ。このことから、「浪速の春団冶」と呼ばれるようになった。川籐が1軍に定着し、欠かせない代打として認められ始めたのは1984年~1986年の3年間であった。この時代は、真弓、バース、掛布、岡田らがいた打のチームで、川藤も1985年リーグ優勝の一役を担った。
  川藤にとって最も特筆すべきは、生涯安打数が211で、この数字は例えば、イチローが1年間で打つヒット数で、19年間で達成したのは実に偉大と言っていいでしょう。
  
 ■ 江夏豊と川藤幸三
  江夏豊と川藤幸三。この二人は、かたや、偉大なスター選手、一方は1軍半の選手であったが、野球をこよなく愛し、その熱い思いからくる一芸が二人にあってファンを熱狂させてくれました。
  巨人V9を筆頭に1980年代を境に、プロ野球選手は徐々に数字、勝敗至上主義、チームの優勝という組織野球に傾いていく。それまでは、豪傑、選手個人の芸と魅力でプロ野球ファンを堪能させていた。阪神タイガースにその傾向が特に強く、江夏豊、そして川藤幸三がその代表選手であった。彼らは、グランド外では豪傑のエピソードが数多い。グランド内では、あふれんばかりの真剣勝負のワザを披露し、言動はホンネの直情主義のため、良くも悪くも、野武士、無頼派であった。
  二人は川藤が2軍の時から、公私とも付き合いが深く、昔の先輩・後輩付き合いの典型であった。川藤は江夏に何でも言う間柄だったという。例の江夏大麻事件で出所後、ゴルフで江夏に会った時「先輩、刑務所暮らしはどうだったですか。おもしろいこと、ありました?」と言ったといわれている。こんなことを平気で江夏に言えるのは川藤くらいのものであろう。 小川洋子原作・小泉尭史監督の映画「博士の愛した数式」、背番号28の江夏が空想の人物として登場するのですが、この映画の試写会では二人揃って駆けつけ、独特のトークで爆笑を誘い、会場を沸かせた。 
  なお、江夏と川藤の対決は2回あったという。広島に移籍した江夏と代打の川藤、死球と2塁打だった。ほぼ同年代に生きてきた私、二人が思いっきり見せてくれた偉大な野武士野球人に敬意を持っています。今は、二人とも評論家となり、その面影・言動は、今も変わっていないのが救いです。


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プロフィール

横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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