阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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画像の出典: Yahooの画像検索「江夏豊」
阪神時代 | 広島時代 | 日本ハム時代 | 評論家 江夏豊 |
剛速球左腕 | 剛速球投手と言えば、バッタバッタと三振をとり、ぼてぼて のゴロで討ちとる胸のすくような投手である。稲尾、村山、野 茂、松坂など。左の強打者が多い球界では左腕の剛球派 は貴重です。この名に相応しい左腕は鈴木啓示、金田正 一などがいますが、連続9三振とか、記録だけでなく、記 憶に鮮やかに残る伝説の江夏豊が一番ぴったりします。 |
奪三振王 | 1968年、入団2年目にサンディー・コーファックスの記録を も上回るシーズン401奪三振というとんでもない世界記録 を作り上げた偉業を忘れることはできません。この記録は、 例えば昨年の奪三振王、ダルビッシュの記録は210です から驚きの記録です。この当時は三振をとるよりゴロを打た せる方が難しいと江夏は豪語していた。 |
オールスター9連続三振 | 1971年のオールスターゲームで速球と正確なコントロールで 打者のバットにことごとく空に切らせ、初の9者連続奪三振を 記録を打ちたてた。打者は有藤→基→長池→江藤→土井→ 東田→坂本→岡村→加藤(英)で次々と三振を奪った。最後 の打者加藤(英)の時はキャッチャーフライをキャッチャーの 田淵が捕球せず、この偉業を助けたと言われている。 |
リリーフエース | 江夏の全盛期以前はリリーフという専門の投手がいたわけで はなく、大事な試合ではエースがリリーフを勤めていた。事実、 セーブという制度ができたのは江夏が阪神退団の前年1974 年だった。広島へ移籍後はリリーフエースとして活躍し2年連 続日本一に大きく貢献。日本のリリーフ投手でも初となる MVPを獲得。リリーフエースは事実上、江夏が切り開いた。 |
江夏の21球 | 近鉄バファローズとの対戦となった1979年の日本シリーズで は、最終第7戦にて1点リードの9回裏に無死満塁の絶対絶 命のピンチを招いた。佐々木恭介を三振にとり、次の石渡の スクイズを見抜いて2死、そして三振に切ってとる神業をやっ てのけ、広島を日本一に導いた。 この時の様子を作家山際淳司が『江夏の21球』という短編に 記し、プロ野球史屈指の名場面として定着した。 |
優勝請負人 | 日本ハムへの移籍1年目の1981年、リリーフエースとしてチ ームの19年ぶりの優勝に大きく貢献し、シーズンMVPに輝 く。両リーグでのMVP受賞は、プロ野球史上初めてのことで あった。広島時代の1979年から1983年まで5年連続で最多 セーブ投手のタイトルを獲得し、同時期、12球団全てからセ ーブを挙げる史上初の記録も作り上げた。まさに優勝請負人 であった。 |
たった一人の引退式 | 歴代の名選手の引退式は当然のことながら、球団主催の 盛大な引退式が行われる。長島、王しかり、そして阪神で は村山実がそうである。しかし、江夏豊は阪神タイガース 球団との確執から、阪神はあれだけの名選手にもかかわ らず引退式を行わなかった。何と東京多摩市の市営球場 で落合など江夏の僚友と心あるファン1万6千人に囲まれ たいかにも江夏らしい幸わせな引退式となった。 |
一匹狼、異端児 | 江夏豊に貼られたレッテル、いかにも似合いそうではある。 入団2年目早くも阪神のエースとなりつつあった江夏は、 2軍生活も知らず、苦労もなく衆目を集めるスター選手へ の道を上りつつあった。世間知らず、当然のことである。 思ったことをズケズケと言い、妥協しないので仲間、監督、 球団幹部、マスコミから誤解される。良い意味で一匹狼は 江夏の勲章でもある。 |
野球馬鹿 | プロ野球選手は殆ど野球馬鹿とも言える。しかし、江夏は 自ら野球馬鹿と言っている。野球以外では生きるすべが ないと言う意味もありますが、これ程野球が好きという意味 でもあります。江夏程の天才だから、才能に任せて投げて いたと思ったら、意外にも克明なメモをちゃんととり、深い 投球術に達していたことは余り知られていない。 |
反権力 | 権力の象徴、巨人に対し、阪神タイガース自体反権力で である。特に江夏、村山、田淵の全盛期には巨人はV9 時代であった。異常なまでに闘争心を燃やした村山と江夏 は阪神ファンの心を完全に掴んでいた。江夏は球団幹部 だろうが、監督だろうが、物怖じせずにズケズケとモノを 言っていた。これが、誤解のモトとなったのは事実だが、 評論家となった今でも権力には決して媚びない。 |
内紛と確執 | 内輪もめは阪神のお家芸であり、阪神ファンも野次馬的に 楽しんでいる気配がある。監督交代、トレードなど・・・・・。 1976年1月、江本孟紀・島野育夫らとの交換トレードで南海 ホークスへ移籍。フロント主導で一方的に決められたトレード のため、江夏は涙ながらに無念を語っていた。村山との確執 も言われたが、実際は尊敬してしており、村山の引退式に は肩車してその功績を讃えていた。 |
不祥事 | 平成5年3月、阪神ファン、江夏ファン、そして一般の人々に 衝撃が走った。覚せい剤所持の疑いで自宅マンションで逮捕 のニュースが報じられた。最後の大リーグ挑戦、完全引退後、 何があったのだろうか? 真偽はともかく、この不祥事の経験 はしかし、貴重だったかも知れない。裁判で情状証人を務めた 僚友、衣笠祥雄をはじめ多く人々は誹は認めながらも再起を 支え、決して見捨てることはなかった。 |
江夏の美学 | 米国で江夏が野茂雄と会ったと時「三振取った時はスカット するが、全力で投げてホームランを打たれた時もホームラン は美しいと感じる」と語り合っていた。江夏の美学の真髄が ここに見られる。勝敗優先の最近の風潮に対し、記録を超え た美しさを伝えてくれたのが江夏である。有名な「江夏の21球 」も勝敗を超えた美しさと感動があり、最後の打者石渡に例え ホームランを打たれても江夏は満足したに違いない。 |
完全数背番号「28」 | 熱烈な阪神ファン、とりわけ江夏ファンの作家小川洋子の ベストセラー小説「博士の愛した数式」に登場した江夏。特に 、背番号28は特別に選ばれた美しい数字「完全数」であり、 江夏こそがこの完全数背番号28を担う最もふさわしい選手 として語られている。小川洋子のこの優れた着想は大発見 であり、一般の人にも広く江夏の名を広めることになった。 野球・小説・数学・江夏、この意外な組み合わせが絶妙。 |
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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