阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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審判泣かせ、あるいは審判の判定技術の向上に貢献したとされる江夏の投球術
について元セリーグ審判部長の田中俊幸氏の談をもとに紹介したいと思います。
■ 審判の判定技術
ストライク、ボールの判定では多くの訓練を重ねた審判には、多少の技術の差は
あってもそんなに判定の差は現れない。 しかし、審判泣かせの投手がいること
は、多くの審判が認めている。稲尾和久、江夏豊がその代表選手と言われている。
つまり、審判の判定能力の限界を超えて投げてくる投手で、コントロール、頭脳戦
で抜群の能力を持った投手である。
■ 阪神時代の江夏
全盛期の阪神時代では剛速球とコントロールで勝負していた。そのコントロールの
良さについて元セリーグ審判部長の田中俊幸氏は江夏について次のように語って
いた。
「右打者の外角低めにストレートを3球続けて投げ、初球、2球、3球と徐々に2~
3cmずつ外して投げた」と外角ぎりぎりのコースに3cm違いのボールを自由自在
に投げ分けることができていた」と語っている。
「審判はその差を一瞬の内に見抜き、ボールのほんの一部がホームプレートにかか
ったからストライクと判定しなければならないが、これは至難のワザであり、審判の
判定技術を試していたふしがある。」
「1球目ストライク、2球目はぎりぎりのストライク、3球目はボールのはずだが、思わ
ずストライクと判定させるすごいコントロールを持っていた」
「この3球目のストライクの判定に打者や、球場のファンからブーイングがでることは
なく、江夏ボール面目躍如の一瞬であった。」
■ 広島時代の江夏
リリーフエースとなった江夏は1978年南海からトレードされて再びセリーグに戻り、
広島に入団した。30才になっていた江夏は往年の剛速球とコントロールの投手か
ら、「真ん中に投げても打たれない投手」に進化していた。
打者に打ち気がないと見ると真ん中に投げて」くる。カーブを狙っていると見ると、
直球で真ん中を投げていた。その配球の見事さでピンチを防ぐ投手に進化し、あの
江夏の21球が象徴的である。
について元セリーグ審判部長の田中俊幸氏の談をもとに紹介したいと思います。
■ 審判の判定技術
ストライク、ボールの判定では多くの訓練を重ねた審判には、多少の技術の差は
あってもそんなに判定の差は現れない。 しかし、審判泣かせの投手がいること
は、多くの審判が認めている。稲尾和久、江夏豊がその代表選手と言われている。
つまり、審判の判定能力の限界を超えて投げてくる投手で、コントロール、頭脳戦
で抜群の能力を持った投手である。
■ 阪神時代の江夏
全盛期の阪神時代では剛速球とコントロールで勝負していた。そのコントロールの
良さについて元セリーグ審判部長の田中俊幸氏は江夏について次のように語って
いた。
「右打者の外角低めにストレートを3球続けて投げ、初球、2球、3球と徐々に2~
3cmずつ外して投げた」と外角ぎりぎりのコースに3cm違いのボールを自由自在
に投げ分けることができていた」と語っている。
「審判はその差を一瞬の内に見抜き、ボールのほんの一部がホームプレートにかか
ったからストライクと判定しなければならないが、これは至難のワザであり、審判の
判定技術を試していたふしがある。」
「1球目ストライク、2球目はぎりぎりのストライク、3球目はボールのはずだが、思わ
ずストライクと判定させるすごいコントロールを持っていた」
「この3球目のストライクの判定に打者や、球場のファンからブーイングがでることは
なく、江夏ボール面目躍如の一瞬であった。」
■ 広島時代の江夏
リリーフエースとなった江夏は1978年南海からトレードされて再びセリーグに戻り、
広島に入団した。30才になっていた江夏は往年の剛速球とコントロールの投手か
ら、「真ん中に投げても打たれない投手」に進化していた。
打者に打ち気がないと見ると真ん中に投げて」くる。カーブを狙っていると見ると、
直球で真ん中を投げていた。その配球の見事さでピンチを防ぐ投手に進化し、あの
江夏の21球が象徴的である。
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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