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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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 ■ 江夏が受賞、また、打ちたてた新記録は数多くあっても普通の記録と違って、
        感動と記憶を呼び起こすことにその偉大さがあります。次の2例を挙げます。
 ■ 1968年のシーズン最多奪三振数401は不滅の記録でしょう。リリーフ専門が増
   え、先発でも完投が少なくなった現在では、日本はもちろん、メジャーリーグでも
   この401奪三振数はもう世界記録として永遠に破られることはないでしょう。
 ■ ノーヒットノーランを達成する投手はいっぱいいますが、同じ記録を達成するにも
   江夏は劇的です。延長戦ではノーヒットノーランができないという常識を破ってしま
   ったのです。
   1973年8月30日の中日ドラゴンズ戦で、松本幸行投手と11回まで投げ合い、11回
   裏に、「自らサヨナラホームランを放つ」という劇的な形で、日本プロ野球史上初の
   延長戦ノーヒットノーランを達成した。

賞 ・ 新記録 回 数 ・ 年 度 備 考  
最多勝 2回(1968、1973)   
最優秀防御率 1回(1969)  
最多奪三振 6回(1967-1972) 最高奪三振数は401
最優秀救援投手 5回(1977、1979-1982) 最多タイ、佐々木 主浩など
最優秀投手 1回(1968)  
MVP 2回(1979,1981) 両リーグでの受賞は初
沢村賞 1回(1968)  
ベストナイン 1回(1968)   
ノーヒットノーラン 1回(1973)  延長戦での達成は史上初
オールスターゲーム出場 16回(1967-1983)  
オールスター最優秀選手  3回(1970,1971,1980)  
1試合16奪三振 1968  
23イニング連続奪三振 1968  
41イニング連続無失点 1969   
1試合で34打者連続凡退 1970  
全12球団からセーブを記録 1974-1984   

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 ■ Yahooなどが主催して、2000年にセンチュリーベストナインを選ぶイベントが企画
    されました。これは20世紀最後の歴史的な年を記念し、ファン投票によってポジシ
    ョン別に20世紀を代表するベストプレイヤーを選ぼうというものです。
    選考委員によって120名の候補者を選び、ファンによるインターネット投票で選ば
    れました。

 ■ 投票結果の順位は下の通りでした。
    結果に異論がある方もいると思いますが、年代が夫々違ってそんな選手見たこと
    もないファンもいたでしょう。また、、インターネット投票ということで、若者に傾きが
    ちの傾向があります。 しかし、どんな選考方法でも異論は出てきます。好きな
    選手は自分にしかわからないからです。

 ■ 投手部門では、稲尾、金田をおさえて江夏が堂々1位になりました。納得です。
    とてつもない記録と感動、多くの人の記憶に深く刻まれている証拠です。
 
 ■ わが阪神タイガースからは5位以内に、捕手に田淵幸一、一塁手にランデイ・
    バース、三塁手掛布雅之、遊撃手吉田義男が選ばれました。
    田淵については、野村、古田、また、バースは王、掛布には長島というライバル
    がいて止むをえない感じです。遊撃手については、吉田でなく、なぜ松井稼頭央
    かちょっと首をひねる感じです。

                                 出典 : センチュリーベストナイン
  1位 2位 3位 4位 5位
投手 江夏  豊 野茂 英雄 金田 正一 沢村 栄治 江川  卓
捕手 古田 敦也 野村 克也 田淵 幸一 森  昌彦 伊東  勤
一塁手 王  貞治 パ ー ス 清原 和博 川上 哲治 駒田 徳広
二塁手 落合 博満 篠塚 利夫 ロ ー ズ 高木 守道 辻  発彦
三塁手 長嶋 茂雄 掛布 雅之 原  辰徳 衣笠 祥雄 中西  太
遊撃手 松井稼頭央 吉田 義男 広岡 達朗 石井 琢朗 石毛 宏典
外野手 イチロー 松井 秀喜 張本  勲 秋山 幸二 山本 浩二
  (6位) (7位) (8位) (9位) (10位)
  福本  豊 クロマティ 鈴木 尚典 高田  繁 柴田  勲
■ 入団時に提示された背番号は「1」、「13」、「28
    1967年ドラフト1位指名された江夏は入団前に提示された背番号は「1」、「13」、
         「28」であった。江夏は自分がつける背番号をどのように選んだのか?興味ある
    問題ですが、江夏は作家小川洋子さんとの対談で次のように語っています。
    「僕は完全数なんてもちろん知らないし、”末広がりで縁起がいいか”というくらい
    の理由で28番にしたんです。13番は、”十三の金曜日”という訳でもないけれど
    、なんとなく避けた。 1番はつけたかったけれど、あえてやめました。当時の僕に
    とっては、1番はあくまで鈴木啓示(近鉄)の背番号だから、真似したくなかった。」

    背番号「1」は高校野球のエース投手がつける背番号。また、1年前に近鉄に入
    団した快速球投手鈴木啓示の背番号は「1」であったが、強いライバル意識があって
    あえてはずした。背番号13は初めから、論外だったようである。
    背番号「28」にもそれまで有力な投手はいなかった。この背番号28が特別な美
    しい数字であるなど、江夏は知るよしもなかったわけですが、新しいエースを目指
    して28を決断し、結果的には最も美しい栄光の背番号を背負うこととなった。 
 
 
■ 江夏豊の背番号28は完全数

3473907214.jpg    作家小川洋子が「博士の愛した数式」で見事に表現した背番号
    28の美しさ、それも他でもない江夏こそがこの背番号担う最も
    相応しい選手と讃えている。
    「28」が数学でいう完全数だからです。完全数とは自分以外の
         約数の和がちょうど等しい数をいう。また、1から始まる自然数
        の和に等しいというさらに美しい性質もあります。このような性質
        はいわば、神様が隠している自然の美しい秩序と言われています。
    このような美しい性質を持つ数字は自然数の中でも極めて少なく1~
    100まででたったの2個しかないのです。「6」と「28」だけです。
    歴代の背番号28の選手は下の表の通りです。江夏豊が燦然と輝いて
    います。
    現役では福原忍。阪神のエースと期待されながら、ケガに泣く日が続い
    ていますが、江夏に続く快投をぜひ期待したい。

    蛇足ながら、もう一つの完全数「6」。その背番号は金本知憲がその栄光を
    いかんなく発揮している。もう決して破られることのない連続フル出場記録
    チャンスでの勝負強さなど、まさに金本が完全数背番号6に相応しい選手。
    歴代では藤田平、和田豊がいる。
    もう一つ、藤川球児の背番号22と金本の背番号6を合計すると28、完全数
    である。今の阪神タイガースを背負う投打の大黒柱がこの背番号を持つのは
    偶然ではなく、必然かも知れない。
    
背番号28 歴代の選手             出展:背番号別選手変遷表
1937-1941年 青木 正一 1964年 福塚 勝哉
1942年 金田 正泰 1965-1966年 室山 皓之助
1949年 田宮 謙次郎 1967--1976年 江夏 豊
1950年 河 文雄 1976--1980年 長谷川 勉
1952-1954年 小島 勝治

1981-1994年

中田 良弘
1955年 横山 国夫 1995--1996年 グレン
1958-1959年 西尾 慈高 1997-1998年 定詰 雅彦
1961-1963年 梅本 正之 1999年- 福原 忍

■ 背番号28は阪神時代だけ

    自分の意思に反して、否応なく阪神から南海にトレードされた江夏は、きっぱり
    阪神と決別したと思われる。南海に移籍後も栄光の背番号28をつけることが
    できたのに、それをやらず17をつけた。その後、広島、日本ハム、西武と移籍
    し、かなり活躍したが、もはや、背番号28をつけることはなかった。
    江夏の完全数背番号28はやはり、阪神タイガースであってこその栄光である。
    なぜなら、江夏は阪神タイガースに最も似つかわしい選手だから。
    なお、現在江夏が監督をしているプロ野球マスターズの「東京ドリームス」では
    やはり、阪神時代の栄光背番号28をつけてファンを楽しませている。

チーム 阪神
(19671975)
南海
(1976-1977)
広島、日本ハム
(1978-1983)
西武
(1984)
ブりューワーズ
(1985)
背番号 28 17 26 18 (86)

■ 背番号28は永久欠番にふさわしくない
     
     阪神タイガースの永久背番号はご存知、藤村富男の背番号「10」 村山実の
     「11」 吉田義男の「23」である。
     藤村富男、村山実、吉田義男、3人とも阪神タイガースに偉大な功績を残した
    人で誰も異存はないだろう。  
     しかし、江夏も負けず劣らず偉大な功績の残したが、殿堂入り的な人物では
     ない。いつまでも記憶に残る伝説的な大投手である。永久欠番でなく、いつま
     でも使える栄光の背番号としてずーと末永く続いて欲しい背番号である。

■ 阪神を去った日も28日

     もめていた江夏の南海への移籍、阪神球団の契約更改交渉は決裂したまま
     だった。
     しかし、1976年1月28日、江夏豊と江本孟紀の実績差が考慮され、
     (阪神:江夏豊・望月充 南海:江本孟紀・長谷川勉・池内豊・島野育夫)の
     2対4の大型トレードが成立した。
     不思議なことに28日が阪神を去る日となった。偶然とはいえ、完全数28とは
     何かの縁、神様が江夏に提示した数字である。  

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 ■ 現代のエース
   エースと呼ばれる投手は各チームにいるが、エースに対するイメージは時代を反映
   してずいぶん変わってきたように思います。”普通のエース”、”そこそこのエース”は
   ”真のエース”とは明らかに違います。近頃のエースは

  • 先発で試合をつくってくれる (5回~7回くらいまで最小得点におさえてくれる)
  • 1年間ローテーションを守り、年間10勝~15勝してくれる
  • 監督やチームからそれなりに信頼されて、その試合を任せられる
   そんなイメージがある。 阪神タイガースでいえば、今は安藤優也だが、何かしら
   物足りなさを感じるのは私だけではないでしょう。上のエースの条件を一応満たして
   いるが、ファンに対して、何がしかの感動をを与える力強さが欠けているように思い
   ます。安藤優也に限らず、各チームの大部分のエースにも同じように感じられる。 
   例外は日本ハムのダルビッシュ有、上の条件を満たした上で、”真のエース”に相応
   しい風格が備わっているように思えます。

 ■ 真のエースとは
   勝手に思っているのですが、"真のエース”とは、さらにワン・ランク上の投手で
  • 打者を見下ろしている投手 (野村克也談より)
     打者を見下ろしているというのは、真のエースの大事なことのように思います。

       打者をなめているといっても良い。明らかにその存在感、名前だけで打者を抑え
       こんでしまうのを何度か見たたことがあります。古くは金田正一、稲尾和久、
       阪神タイガースでは村山実、そして江夏豊である。江夏は普通の打者には明
       らかに、見下ろしていてふてぶてしかったし、宿敵長嶋茂雄、王貞治に対して
       は、全力で立ち向かっていた。村山実もそうだった。この見下ろしている投手と
       いうのは、近頃はめったにいないが、日本ハムのダルビッシュ有はこの部類に
     入るでしょう。
     
  • 美しくきれいな投球をするのでなく、一目でこの投手と分かる存在感のあるエース
    この言葉を言ったのは江夏自身だったように記憶しています。美しい流れるような、
    一見理想的に見える投球をする投手はいますが、何故かひ弱さを感じてしまう。
    それより、遠くからその姿を見て、一目でその投手とわかるのが”真のエース”。
    江夏の投球はごついというより、どちらかと言えば美しい投球フォームであったが、
    投げる姿、歩く姿、そのしぐさは一目で、江夏とわかった。 村山実もそうだった。
    村山実の投球フォームはダイナミックで、打者を圧倒していたし、ロッテ村田兆冶
    のマサカリ投法も魅力いっぱいだった。
     
  • 遊び心があって、ここぞという時は、劇的に抑える投手が”真のエース
    エースは先発で、なるべく9回まで完投したいと思うのが常。そのため、全打者に
    全力投球すれば、当然、へばりが出て、致命的な痛手を負う時がある。なので、
    遊び心というか、特に下位打者に対しては、手抜きの投球をする余裕を持っている。
    この手抜きの投球で、下位打者に打たれるケースはよくある。江夏でいえば、V9
    時代の柴田、黒江などによく打たれていたような印象があります。肝心のピンチ
    の時にはしっかり抑えてくれのが”真のエース”。江夏もよくピンチを迎えていて、
    打たれる時は確かに打たれていて、負けた試合も実際は結構多かったように思
    います。伝説となった「江夏の21球」にしても、無死満塁のピンチを招いたのは
    他でもない、江夏の責任といえるでしょう。しかし、ここからが、”真のエース”か
    どうかの分岐点となる。
    絶対的に大事な試合で勝負する時には、投球術はもちろんのこと、勝負師として
    の強靭な力があるかどうかが試される。「江夏の21球」の場合、劇的な形で抑え
    込んで勝ったのであるが、これ位になると、何か神様の力でないかと思える感動
    とスリルであった。このような、ピンチでの場面で押さえ込むスリルと感動を味あわ
    せてくれるのが”真のエース”と思えてなりません。これが後になっても、記憶に
    残る名場面として堪能できる野球ファンの醍醐味なのです。

 ■ 奪三振数401の世界新記録
    401は日本だけでなく世界新記録である。
    日本では、江夏の次の記録は稲尾和久の353である。メジャーリーグでも最多
    奪三振数は1973年エンゼルスのノーマン・ライアンが記録した383である。
    江夏が達成した奪三振王は阪神時代の1967年~1072年の連続6年という
    離れワザである。 江夏以降、阪神から奪三振王になったのは、2002年と
    2004年の井川慶だけであるが、三振数は206、228で、401の凄さがよく
    わかる。
 ■ 狙った人から三振を取った
    401奪三振の1967年のことである。9月17日の甲子園球場における読売
    ジャイアンツ戦では、王貞治の打席で稲尾和久の日本記録に並ぶ353奪三振を
    記録した。新記録達成の354は王貞治と決めていたふしがある。後続のバッター
    のアウトはにすべて三振以外の方法でしりぞけた。この時江夏自身は捕手
    森昌彦と投手高橋一三を三振を取らないようにするのがむしろ大変だったと語っ
    ている。
    再び王の打席が回ってきた時に、記録更新となる354個目の三振を奪う離れ業
    で念願の354奪三振新記録を達成した。

 奪三振シーズン記録 ベストテン
順位 投手 チーム 奪三振数    達成年
1 江夏 豊 阪神 タイガース 401  1968 
2 稲尾 和久 西鉄 ライオンズ 353 1961
3 金田 正一 国鉄 スワローズ 350  1955
4 江夏 豊 阪神 タイガース 340 1970
5 杉浦 忠 南海 ホークス 336 1959
6 稲尾 和久 西鉄 ライオンズ 334 1958
7 梶本 隆夫 阪急 ブレーブス 327 1956
8 稲尾 和久 西鉄 ライオンズ 321 1959
9 杉浦 忠 南海 ホークス 317 1960
10 金田 正一 国鉄 スワローズ 316 1956

 2000年以降の奪三振王
投手 チーム 奪三振数  投手  チーム 奪三振数
2000 石井 一久 ヤクルト 210 松坂 大輔  西武  144
2001 野口 茂樹 中日 187 松坂 大輔 西武 214
2002 井川 慶 阪神 206 パウエル  近鉄 182
2003 上原 浩治 巨人 194 松坂 大輔 西武 215
2004 井川 慶 阪神 228 新垣 渚 福岡 177
2005 門倉 健
三浦 大輔 
中日
横浜 
177 松坂 大輔 西武 226
2006 川上 憲伸
井川 慶
中日
阪神
194 斉藤 和巳 福岡 205
2007 内海 哲也 巨人 180 ダルビッシュ 日本ハム 210
2008 ルイス 広島 183 杉内 俊哉 福岡 213
2009 ルイス 広島 186 杉内 俊哉 福岡 204
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江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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