阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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■ ライバル列伝 阪神vs巨人
江夏豊が在籍した阪神タイガース時代には江夏豊、村山実、田淵幸一というスタ
ー選手、一方宿敵巨人には、長嶋茂雄、王貞治をはじめとするV9打撃陣の他、
投手には堀内恒夫がいた。江夏豊vs王貞治、村山実vs長嶋茂雄が伝説のライ
バルと語られることが多い。
この時代には阪神はやはり投手力、巨人は打撃力が中心だったが、こと投手に
ついて語るとしたら、江夏豊の投手ライバルは堀内恒夫であった。
■ ライバル堀内恒夫
現役時代の堀内の思い出と言えば、阪神ファンのわたしとしては、後の江川卓と
ともに、憎き選手であった。阪神が何度もヤラレタという印象が強い。
堀内は江夏豊が入団した年の前年、1985年ドラフト1位で巨人に入団。江夏の1年
先輩に当たる。1年目、初勝利から13連勝と鮮烈なデビューで注目を浴び、以後
V9時代の巨人のエースとして君臨した。
現役時代のアダナが「悪太郎」、「甲府の小天狗」。この時代の一流選手がそうで
あったように自信満々、ふてぶてしさが江夏と似ていて、堀内もマスコミに受けが
悪かった。持ち球は直球と鋭いカーブ。球種がたったの二つ、、ふてぶてしさ、度胸
満点のピッチング、マスコミ受けの悪さ、ときに思いがけないホームランを打つなど、
阪神のエース江夏と巨人のエース堀内は重なる点もあった。
200勝も達成し、引退後、巨人の監督を2004年~2005年の2年間務めたが、思う
とおりの結果残せず、いつもの巨人監督交代劇で原辰徳監督に交代した。
■ 記録からみる江夏豊と堀内恒夫
貧打の阪神打線をバックにした江夏と強力打線をバックににした堀内を比較する
のは江夏には酷であるが、無理して、両者を記録の面で比較しました。
大きな差があるのは登板数、セーブ数、奪三振数である。
江夏が阪神を去った後は、いわゆるリリーフエースとして、肝心な時に必ず江夏が
登板して、試合を締めくくっていた。堀内は先発専門であったので、この差が出ている
のは当然と言えば、当然と言えよう。
在籍年数が共に18年、勝敗数はほぼ似通っているが、特筆すべきは、やはり、江夏
の真骨頂である奪三振に大きな差があることで、共に剛速球であってもコンロール力
に江夏が大きく勝っていたからである。
■ 堀内恒夫の江夏豊評
共にライバルだった二人は、後年になって、後藤正治著 牙ー江夏豊とその時代
によれば、堀内は江夏のことを次のように語っている。
「左腕で、右バッターのアウトコース低めにかくもコントロールされたヘビー級の球を
投げ込んだピッチャーは江夏以外にいないし、これからもおそらくお目にかかることは
ないんじゃないかな」
「江夏との投げ合いになれば、2点とられたら、負けだと思って投げていましたからね。
奴もきっとそうでしょう。だから、いったん点が入ってしまえばガクッとして雑になって
しまうところがあった。」
「甲子園での試合で、僕が打者で18球ファールしたことがあった。すべてストレート
だった。なんで、真っ直ぐばかりだったのか。僕はバッティングが良かったが、所詮
ピッチャー。ひとつかわす球を投げられたら、粘れるものではなかったのに・・・」
このシーンを江夏も覚えていて、
「ありましたね。そんなこと。きっと意地になって投げ込んだんだろうね。相手が堀内
だったから」
江夏豊が在籍した阪神タイガース時代には江夏豊、村山実、田淵幸一というスタ
ー選手、一方宿敵巨人には、長嶋茂雄、王貞治をはじめとするV9打撃陣の他、
投手には堀内恒夫がいた。江夏豊vs王貞治、村山実vs長嶋茂雄が伝説のライ
バルと語られることが多い。
この時代には阪神はやはり投手力、巨人は打撃力が中心だったが、こと投手に
ついて語るとしたら、江夏豊の投手ライバルは堀内恒夫であった。
■ ライバル堀内恒夫
現役時代の堀内の思い出と言えば、阪神ファンのわたしとしては、後の江川卓と
ともに、憎き選手であった。阪神が何度もヤラレタという印象が強い。
堀内は江夏豊が入団した年の前年、1985年ドラフト1位で巨人に入団。江夏の1年
先輩に当たる。1年目、初勝利から13連勝と鮮烈なデビューで注目を浴び、以後
V9時代の巨人のエースとして君臨した。
現役時代のアダナが「悪太郎」、「甲府の小天狗」。この時代の一流選手がそうで
あったように自信満々、ふてぶてしさが江夏と似ていて、堀内もマスコミに受けが
悪かった。持ち球は直球と鋭いカーブ。球種がたったの二つ、、ふてぶてしさ、度胸
満点のピッチング、マスコミ受けの悪さ、ときに思いがけないホームランを打つなど、
阪神のエース江夏と巨人のエース堀内は重なる点もあった。
200勝も達成し、引退後、巨人の監督を2004年~2005年の2年間務めたが、思う
とおりの結果残せず、いつもの巨人監督交代劇で原辰徳監督に交代した。
■ 記録からみる江夏豊と堀内恒夫
通 算 成 績 | 江 夏 豊 | 堀 内 恒 夫 |
在籍年数 | 18年 | 18年 |
登板数 | 829 試合 | 566 試合 |
勝利数 | 206勝 | 203勝 |
敗数 | 158敗 | 139敗 |
セーブ | 193 | 6 |
奪三振 | 2987 | 1865 |
被本塁打 | 299 | 323 |
防御率 | 2.47 | 3.27 |
のは江夏には酷であるが、無理して、両者を記録の面で比較しました。
大きな差があるのは登板数、セーブ数、奪三振数である。
江夏が阪神を去った後は、いわゆるリリーフエースとして、肝心な時に必ず江夏が
登板して、試合を締めくくっていた。堀内は先発専門であったので、この差が出ている
のは当然と言えば、当然と言えよう。
在籍年数が共に18年、勝敗数はほぼ似通っているが、特筆すべきは、やはり、江夏
の真骨頂である奪三振に大きな差があることで、共に剛速球であってもコンロール力
に江夏が大きく勝っていたからである。
■ 堀内恒夫の江夏豊評
共にライバルだった二人は、後年になって、後藤正治著 牙ー江夏豊とその時代
によれば、堀内は江夏のことを次のように語っている。
「左腕で、右バッターのアウトコース低めにかくもコントロールされたヘビー級の球を
投げ込んだピッチャーは江夏以外にいないし、これからもおそらくお目にかかることは
ないんじゃないかな」
「江夏との投げ合いになれば、2点とられたら、負けだと思って投げていましたからね。
奴もきっとそうでしょう。だから、いったん点が入ってしまえばガクッとして雑になって
しまうところがあった。」
「甲子園での試合で、僕が打者で18球ファールしたことがあった。すべてストレート
だった。なんで、真っ直ぐばかりだったのか。僕はバッティングが良かったが、所詮
ピッチャー。ひとつかわす球を投げられたら、粘れるものではなかったのに・・・」
このシーンを江夏も覚えていて、
「ありましたね。そんなこと。きっと意地になって投げ込んだんだろうね。相手が堀内
だったから」
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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