阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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■ 1984年、江夏は最後に所属したライオンズで広岡達朗監督の方針についていけ
ず、喧嘩別れのような形で球界を去ることになった。阪神、南海、広島、日本ハム
、西武でこれ程の功績を残した大投手にもかかわらず、どの球団も江夏のために
球団主催の引退式を行うことをしなかった。
■ このため、文芸春秋社、雑誌「ナンバー」、名球会有志などが江夏のために引退式
主催の労を喜んで引き受けた。選んだ球場がプロ野球球場でなく、市民球場であ
った。東京都多摩市の多摩一本杉球場である。
■ この多摩一本杉球場は、後になって「江夏豊の引退式球場」として、地元でかえっ
て有名になっている。一本杉球場の管理事務室には当時使用したピッチャープレ
ートや写真パネルなどが大切に保存されているそうです。
■ かくて、昭和60年(1985)1月19日、この球場であの江夏豊の引退式式が行わ
れました。市民球場での異例の引退式は15000人の収容人員をはるかに超え
た20000人の人々が駆けつけました。
■ 賛同してくれたプロ野球人は、山本浩二、落合博満、福本豊、大杉勝男、江藤慎一
、高橋慶彦、福本豊、斎藤明夫、辻恭彦といったそうそうたるメンバーである。
また、駆けつけた芸能人は、たけし軍団、武田鉄也などが江夏の最後を盛り上
げてくれました。
■ 江夏ファンがこれだけの暖かい、しかも盛大な引退式を挙げたのですが、球団主催
でないため、「たった一人の引退式」と呼ばれるようになった。しかし、実際はこれ
程暖かく、素晴らしい引退式はないだろう。江夏としても本望だったに違いない。
■ 江夏の「たった一人の引退式」を終えた後、 江夏はこの後、米大リーグのブリュ
ワーズのテスト生として海を渡り、大リーグへ挑戦することになる。
多摩一本杉球場は現在では東京都の
高校野球予選球場としても使われている。
多摩一本杉球場
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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