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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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辻 佳紀

    (阪神)
小山、村山、バッキー時代の生捕手を務めた辻佳紀であり、ヒゲ
がトレードマークのため、同僚同名の辻恭彦と区別するため、
「ヒゲの辻」と呼ばれていた。
江夏が入団した1967年当時は、二人の辻が捕手を務めており
江夏が投げる時の捕手を務めることは少なかったが、独特の
キャラクターで人気を博していた。この時代の阪神の捕手は分業
で、辻佳紀はバッキーとの組み合わせが多く、江夏登板時は
ほとんど辻恭彦と記憶している。
辻佳紀は1975年、阪神の選手兼ヘッドコーチを務めたが、田淵
幸一の扱いをめぐる吉田監督との確執で、退団した。愛すべき
ヒゲの辻はガンのため、48歳の若さで他界したのが惜しまれる。
辻 恭彦

      
     (阪神)
もう一人の辻、辻恭彦は「ダンプの辻」と呼ばれていた。頑丈な
身体と運送会社出身のため、この異名が付けられたと言われて
いる。
投手に乾いた良い音が出るように、ミットのスポンジを抜いてほと
んど素手に近い捕球したことで知られている。
江夏が入団した時、藤本定義監督が「江夏のように繊細でわが
ままなタイプにはダンプが向いとる」として徹底してダンプをつけ
させた。実際、江夏自身もダンプのキャッチング技術を高く評価し、
多くの投球術を学んだと語っている。田淵幸一が正捕手になる
まで、江夏の正捕手はダンプであった。
あの稲尾の奪三振記録を意図的に王貞治からとった時の捕手も
もちろんダンプであった。「江夏のたった一人の引退式」でも江夏
のために駆けつけていた。
田淵 幸一

    (阪神)
法政大のスター選手から鳴り物入りで阪神に入団した田淵、後に
江夏と黄金のバッテリーを組むこととなった。良家でお坊ちゃん風
の田淵、曲者揃いの捕手の中にあってその素直な明るい性格で
多くの阪神ファンを魅了させた。阪神には辻佳彦、辻恭彦といった
守備に定評のある一流の捕手がいて、その守備力に疑問符が
あったのは事実で、一時は一塁手転向説まで出た。江夏も捕手と
しては辻恭彦ほど評価していなかった。素直すぎて繊細な江夏と
好対照でやや大雑把過ぎた性格が災い過ぎたのかも知れない。
江夏もその人間性について「ブチほど純粋で裏表のない人間は
いない」と述べている。
田淵の本領はやはり打者としての素質であり、特に美しい放物線
を描いた芸術的なホームランを決して忘れられることはない。投打
の大黒柱「黄金のバッテリー」が阪神ファンの誇り、自慢であった。
野村 克也

    〈南海)
江夏への野村の最大の功績はリリーフという新たな投手の重要さ
と定着を図ったことである。阪神から南海へトレードされた背景には
、かつての速球のスピードを失い、打ち込まれる機会が増えたこと
にある。そこに頭脳派で緻密な野球を展開する野村と出合ったこと
は、それ以降の江夏の復活に大きく貢献した。
野村は江夏が例え急速が衰えても卓越した配球術を持っていること
を見抜いていた。そこで、江夏の誇り高いプライドを取り戻すため、
「リリーフで野球革命を起こそう」との誘いかけに江夏が期待に応え
た。
豪放磊落とは裏腹にもともと研究熱心な江夏に野村も驚いたそう
ですが、、野村監督もいわゆるID野球の元祖、そしてアイデアマン
でもあったので、この点では波長が合っていたのかも知れない。
「今まで自分は野球が一番できる、知っていると思っていたが、自信
過剰だっただけで、野球学の程度があまりにも低かったと言うことが
分かった」と言うほど野村監督から学んだはずである。
水沼 四郎

    〈広島)
捕手にしては細身、風貌は現在の阪神では矢野に似ていて矢野を
小柄にしたような身軽さが印象的であった。わたしは広島ファンでは
なかったので、詳しい水沼の活躍は良く知らないのですが、地味だが
勝負強いというイメージが定着していたそうである
守備は完ぺきな捕球、スローイングやリードには派手さはないが、
正確な捕球こそ捕手の原点であると信じていたようである。
江夏の捕手としてはやは、「江夏の21球」のファンの記憶が強烈
である。水沼は「高二の時、中学生だった江夏の球を一度受けた
ことがあってね。因縁を感じたよ」と語っている。
江夏も、盟友衣笠祥雄などがいて、優勝を味わった広島時代が
一番幸わせだったと語っている。
大宮 龍男

  (日本ハム)
1997年ドラフト4位で駒澤大学から日本ハムに入団。
入団5年目の1981年、広島カープより移籍してきた江夏豊、大沢
啓二監督の『(大宮を)一人前にして欲しい』という申し出により徹底
的にリード、配球面で鍛えられた。リード、配球術に卓越した江夏の
指導により、日本ハムの代表的な捕手として成長した。
そして、江夏とのコンビで1981年のリーグ優勝に貢献した。現役引退
後は西武、日本ハムのコーチを経て、北海道放送の解説者を務めて
いる。
江夏とは私生活でもし親しく、江夏が監督となっているプロ野球マス
ターズ「東京ドリームス」の捕手としてオールドファンを楽しませている。
伊藤 勤

  〈西武)

1982年、球団職員の身分から、1982年ドラフト1位で西武に入団。
1年目の1982年は33試合、2年目の1983年には56試合出場と
経験を積み、1983年の日本シリーズでは第4戦以降大石友好、
黒田正宏を差し置きスタメンに抜擢される。
翌1984年より正捕手となり、以後西武のホームベースを死守し
続けた。江夏が西武に在籍した1984年には、いろいろな事情に
より、江夏の登板は僅か20試合であったが、バッテリーとしての
機会も僅かであった。
派手さはなかったが、古田敦也とならんで、名捕手の座は定着
している。

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プロフィール

横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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