阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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若い時の江夏は,血気盛んで何かと問題を起こしそうな気配が漂っているので、
試合中のトラブルや退場処分もさぞや多かったと勝手に思っていました。ところ
が、スポーツライター織田淳太郎さんが書いた「審判は見た!」を読んでいたら、
意外な事実が書かれていました。以下はすべてこの「審判は見た!」からの引用
です。本は新潮新書 審判は見た!で、2003年発行の新書です。
■ 「意外に思うやろうけど俺の退場処分は18年の現役生活で大里さんの件での1回
しかないんだよね」と語っています。
たった一度の退場処分、それは昭和48年6月12日の阪神対巨人戦だった。8回
裏一死二塁でリリーフにたった江夏、打者は宿敵王貞治、カウント2-2から、内角
際どいシュートを投げた。1球目のストライクとほぼ同じコースだったが、大里晴信
球審ははボールのジャッジ。江夏は大里球審に体当たりし、即退場を命じられた。
退場を覚悟していた江夏は悠然とベンチに向かっていた。その時実況を担当してい
たNHKの西田善夫アナウンサーが「さっそう江夏、男っぷり」、解説の小西得郎
さんが「肩をゆすって花道を去るように」と口走ったため、視聴者から「暴力礼賛だ!
」抗議を受けたという逸話が残っている。これには伏線があったと当時報道されて
いた。前の月の5月21日の阪神対ヤクルト戦の最終回、ヤクルトの攻撃で、二塁
塁審の大里が微妙なプレーをセーフとし、大もめにもめた。これが、尾を引き、阪神
はさよなら負けして、江夏が敗戦投手になったという伏線である。
■ しかし、江夏自身の言によれば、「大里さんは巨人を贔屓にするような審判じゃな
かったからね。あの時はキャッチャーの田淵が凄まじいクレームをつけて、大里さん
の足まで踏んづけとったし、今にも手を出しそうな雰囲気だったので、咄嗟の判断
よ。俺が身代わりで、退場処分になろうと思ったわけ。チームを考えると俺より田淵
が退場になったほうがマイナスやったからね。数日後。横浜中華街で大里さんとば
ったり会った時、『この前はすみませんでした』と謝ったら、大里さんも『おう』と気軽
に声を返してくれた。もう大里さんをいっぺんに好きになった」であり、退場処分に
恨みなど何も感じていなかった。
■ 審判とのトラブルの経験が、選手としての器を大きくしたと感じているのも江夏
だった。以下、江夏の言。
「今でも思い出すのは昭和56年の日ハム対阪急戦。天王山ともいえる四連戦の
四戦目。バッターが福本で、2-1からインハイに俺にとったら最高のボールを放
った。それを球審の藤本典征さんがボールと判定した。俺もすっかり冷静さを失っ
て藤本さんの胸をついてしまった。その時、藤本さんや一塁塁審の村田康一さん
に『それ以上するな』と強くたしなめられた。退場させる前に俺の目を覚まさせよう
としてくれたわけよ。藤本さんや村田さん以外にもセ・リーグ、パ・リーグの審判に
はいろいろと勉強させてまらったし、感謝というのが今の心境だね。大きくしてい
ただきましたというのが正直な気持ちよ。」
■ 「そういう意味で、以前、審判不要論がでた時、俺は大反対だった。
「コンピューターに判定させようというわけやけど、野球そのものが味気ないものに
なる。野球というのは人間がやているから面白いんや。ミスジャッジがあるかも知れ
ない。選手とのトラブルだって派生してくるだろう。だからこそドラマや感動というのが
生まれてくるんや。肝心なことは選手と審判が切磋琢磨して」、それぞれのテクニッ
クの向上を目指すということじゃないかな。選手だって一割台しか打てない者もおるし、
三割も打てる者もおる。審判だって同じよ」
試合中のトラブルや退場処分もさぞや多かったと勝手に思っていました。ところ
が、スポーツライター織田淳太郎さんが書いた「審判は見た!」を読んでいたら、
意外な事実が書かれていました。以下はすべてこの「審判は見た!」からの引用
です。本は新潮新書 審判は見た!で、2003年発行の新書です。
■ 「意外に思うやろうけど俺の退場処分は18年の現役生活で大里さんの件での1回
しかないんだよね」と語っています。
たった一度の退場処分、それは昭和48年6月12日の阪神対巨人戦だった。8回
裏一死二塁でリリーフにたった江夏、打者は宿敵王貞治、カウント2-2から、内角
際どいシュートを投げた。1球目のストライクとほぼ同じコースだったが、大里晴信
球審ははボールのジャッジ。江夏は大里球審に体当たりし、即退場を命じられた。
退場を覚悟していた江夏は悠然とベンチに向かっていた。その時実況を担当してい
たNHKの西田善夫アナウンサーが「さっそう江夏、男っぷり」、解説の小西得郎
さんが「肩をゆすって花道を去るように」と口走ったため、視聴者から「暴力礼賛だ!
」抗議を受けたという逸話が残っている。これには伏線があったと当時報道されて
いた。前の月の5月21日の阪神対ヤクルト戦の最終回、ヤクルトの攻撃で、二塁
塁審の大里が微妙なプレーをセーフとし、大もめにもめた。これが、尾を引き、阪神
はさよなら負けして、江夏が敗戦投手になったという伏線である。
■ しかし、江夏自身の言によれば、「大里さんは巨人を贔屓にするような審判じゃな
かったからね。あの時はキャッチャーの田淵が凄まじいクレームをつけて、大里さん
の足まで踏んづけとったし、今にも手を出しそうな雰囲気だったので、咄嗟の判断
よ。俺が身代わりで、退場処分になろうと思ったわけ。チームを考えると俺より田淵
が退場になったほうがマイナスやったからね。数日後。横浜中華街で大里さんとば
ったり会った時、『この前はすみませんでした』と謝ったら、大里さんも『おう』と気軽
に声を返してくれた。もう大里さんをいっぺんに好きになった」であり、退場処分に
恨みなど何も感じていなかった。
■ 審判とのトラブルの経験が、選手としての器を大きくしたと感じているのも江夏
だった。以下、江夏の言。
「今でも思い出すのは昭和56年の日ハム対阪急戦。天王山ともいえる四連戦の
四戦目。バッターが福本で、2-1からインハイに俺にとったら最高のボールを放
った。それを球審の藤本典征さんがボールと判定した。俺もすっかり冷静さを失っ
て藤本さんの胸をついてしまった。その時、藤本さんや一塁塁審の村田康一さん
に『それ以上するな』と強くたしなめられた。退場させる前に俺の目を覚まさせよう
としてくれたわけよ。藤本さんや村田さん以外にもセ・リーグ、パ・リーグの審判に
はいろいろと勉強させてまらったし、感謝というのが今の心境だね。大きくしてい
ただきましたというのが正直な気持ちよ。」
■ 「そういう意味で、以前、審判不要論がでた時、俺は大反対だった。
「コンピューターに判定させようというわけやけど、野球そのものが味気ないものに
なる。野球というのは人間がやているから面白いんや。ミスジャッジがあるかも知れ
ない。選手とのトラブルだって派生してくるだろう。だからこそドラマや感動というのが
生まれてくるんや。肝心なことは選手と審判が切磋琢磨して」、それぞれのテクニッ
クの向上を目指すということじゃないかな。選手だって一割台しか打てない者もおるし、
三割も打てる者もおる。審判だって同じよ」
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プロフィール
横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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