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阪神タイガース伝説の大投手江夏豊、その魅惑の世界に迫ります。
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■ 江夏豊のホームはもちろん阪神タイガースそして甲子園
      であるが、江夏が最も”幸福な野球が過ごせた時”だった
       のは広島時代であったと江夏自身が語っている。それは、
      人気とエースの重責から解放され、リリーフとして再生した
      広島時代は、自身の投球術を縦横に駆使でき、ある意味
      では野球そのものを楽しんだと思われます。 しかしながら
      、新しい球団で馴染むには、それなりに親しい選手がいて
      こそという気がします。 その最も親し選手とは衣笠祥雄
                                          であった。
■ 衣笠祥雄は連続試合出場2215試合を達成した”鉄人”であった。その偉業で国民
   栄誉賞を受賞した。衣笠の魅力は”鉄人”のタフさと同時に”フルスイング”で
   打率が3割を超えたことがたった1度,通算三振数は1587個(歴代3位、セ・リーグ
      記録)、通算併殺打は267(セ・リーグ記録)にものぼったが、これは”フルスイング”
   ゆえの勲章であろう。
■ 衣笠祥雄は江夏豊の2年先輩、ほぼ同世代の野球選手、境遇も似通ったところが
   あって気持ち的に共鳴していたと推察される。無二の親友として、グランド内では
   もちろんのこと、よく遊びも一緒だったという。伝説となった「江夏の21球」の場面で
   古葉竹識監督がブルペンで控え投手を準備しているのを江夏が見て、エースの誇り
   を著しく傷つけられた時、江夏をなだめた衣笠、”俺もお前と同じ気持ちだ。ベンチ
   やブルペンのことなんて気にするな、やめるなら一緒に辞めよう”と。
■ 「左腕の誇り 江夏豊自伝」の中で、江夏は衣笠のことを次のように語っている。
  サチ(衣笠祥雄)は今でも野球を離れたところで男同士の付き合いができる。広島の
  3年間はよく野球の話もしたし、お互いの悩みを聞いたし、よく遊んだ。嫁さんといる
  よりサチといる方が長かった。ゴルフ、カラオケ、旅行など一緒によく遊んだ。小倉では
  高橋慶彦、サチ、福永トレーナーと夜の十時から、朝の七時まで延々とアリスの唄を
  歌い続けたこともあった。江夏が日本ハムに移籍した後、サチは湯布院の喫茶店で
  アリスの唄を聞いて、「豊がおらん。豊がおらん」と言って泣いていたそうです。
■ 衣笠は連続試合出場の世界新記録に挑戦していたが、、「記録作りのために出場し
  ているだけ」「監督・コーチの温情」と批判する野球ファンも少なからずいた。
  1986年以降は思うように成績が振るわず、極度の不振に落ちいったことがあり、その
  時は先発メンバーを外される日もあった。岡山の試合で先発を外れた衣笠は荒れに
  荒れたという。”手当たりしだいにものをぶっ飛ばす。それだけ悔しかったでしょう。で、
  僕は一晩中、慰めた。ぼくはあの時から、いっそう仲良くなったと思う。あそこで初めて
  彼の弱いところを見てしまったけど、弱みを見せるということはそれだけ僕を信頼して
  いるのだなと思った”と語っています。

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横浜虎キチ、68才。
江夏、村山、田淵時代以来の虎暦40年、現役では福原忍投手のファン。
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